住職 ご挨拶

受法寺は、本願寺門主を中心として親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、すべてのものを救うと願われる阿弥陀如来のはたらきにおまかせするという浄土真宗のみ教えを護り、自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することを目的としています。

仏事の相談 ご法事や葬儀
人生の様々な苦しみや悩みに寄り添い、応えていきたいと願っています。
ご法事やご葬儀、永代経(永代供養)、お墓じまいをしたい、後継者のいないお仏壇はどうすればいいのか?などの仏事に関する事は、お気軽にご相談ください。

第15世住職 釋 慶哉

歴 史

受法寺は500年前の永正年間(1504~1520)、堺に至る中国との通商貿易船の寄港地としても重要な港浦戸に、大阪堺の僧侶正善法師が道場を創建しました。

文禄年中(1592~1595)長宗我部元親が寺領を寄付して、本堂を興しました。
長宗我部元親は土佐を統一した後四国に侵攻し、浦戸城を居城としていました。当時の浦戸は、朝鮮出兵の軍事や海運の要の土地であり、城下町として栄えていました。池城主で長宗我部家臣の池満太郎は出家して受法寺第2世釋慶乗となります。

慶長元年(1596)8月イスパ二ア(スペイン)の修道会士7人を含む230人余りの人々が乗ったガレオン船(帆船)サン・フェリぺが、フィリピンからメキシコに向かう中で浦戸へ漂着しました。
スペインで乗組員の「廃墟の寺に十字架を立て仮教会とした」と報告があり、寺院様式となる前の池慶乗の道場であったと考えられます。
また航海士は「イスパ二ア人は全世界と貿易を行うが、虐待されるときはその国を奪う。そのためにまず宣教師を送り、キリスト教を広める」と答えました。
この事件でキリスト教を油断できないものと感じた秀吉は、キリシタンの弾圧を強め、「長崎26聖人の殉教」や徳川幕府による鎖国政策へ発展していったといわれています。

道場はその後寿法寺(寿宝寺)、真宗寺と称されますが、真宗寺は移転して浦戸は受法寺となります。

江戸時代の宝永4年(1707)、土佐湾岸を宝永地震による津波が襲い堂宇の流出もありましたが、門徒の力で再興しています。

また明治初期には、土佐でも廃仏棄釈の嵐が吹き荒れ廃寺となる寺院も多数ありましたが、門信徒が心の拠り所として、よく守りました。

開基から500年を経ましたが、受法寺門信徒の数多くのご先祖様が念仏の道場支え、平成27年(2015)に門信徒の懇念を結集した本堂山門再建をはたして落成慶讃法要を円成し、ますますのみ教えの興隆が期待されます


  • 受法寺から出土の中国産磁器

  • ガレオン船の模型(ゴールデン・ハインド)

  • 浦戸城の陰陽2面の鬼瓦(受法寺所蔵)
    額に日輪

  • 浦戸城の陰陽2面の鬼瓦(受法寺所蔵)
    額に三日月