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受法寺蔵 浦戸城鬼瓦 県立埋蔵文化財センター企画展で公開

  • 2020/05/29 10:36

KOCHISINBUN20200529-ASA11.jpg戦国から安土桃山時代に土佐を支配した長宗我部氏の関連資料を紹介する企画展「長宗我部の時代」が南国市篠原の県立埋蔵文化財センターで開かれている。 7月5日まで。  

同センターの開館30周年を記念して企画。

長宗我部氏の居城となった岡豊城跡や浦戸城跡などから出土した土器や陶磁器約200点か 武士の暮らしぶりを探る。 

 

特に高知市浦戸の受法寺 に伝わる鬼瓦は縦56センチ、横48センチの巨大な瓦。

 

1595年(文禄4)年に泉州(大阪府南西部)の瓦職人が製作したもので、太陽をかたど

った「陽」と月をかたどった「陰」が展示されている。

 

横山慶哉住職によると、戦国末期の受法寺はまだ念仏道場で寺院として形は整っておらず、「災いを払う守り神としての鬼瓦の性格も迷信を好まない浄土真宗の教義に合わず、寺にふかれたとは考えにくい」と推測する。

 

 鬼瓦をふけるような大きな建物は、浦戸城の天守や浦戸城下町にあった長宗我部氏の屋敷くらいしかなく、それらにふかれたものとする説もある。

 

また、会場には浦戸城跡の発掘で出土した鯱瓦や丸瓦も展示されている。

  

(楠瀬慶太)

 

高知新聞

2020529日 朝刊11

 

法話 ▶こころのまど◀ 病いは お医者様に 悩みは ほとけさまに

  • 2020/05/22 09:54

病いは お医者様に

悩みは ほとけさまに

 

病気になると、どこに行かれるでしょうか?

コロナ騒ぎで、神や仏に「かからないように」「直りますように」と願をかける方も多くなるようです。

 

ニュースで

製薬会社が集まる大阪・道修町で、薬の神様をまつる少彦名神社のお守りを求める人が増えている。江戸時代にコレラが流行した際に薬とお守りを授与して病気平癒を祈願したという神社。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、全国から収束を願う祈りが届いている。

神仏に願うという気持ちは、「自分が病気になって死ぬかもしれない」と悩み、不安になります。

 

『本願寺新報』で「西本願寺 医師の会の広場」田畑正久先生は

仏教は、まじないのように医学・医療と競合して病気を治療するのではありません。病気に関しては医療者に

「お任せ」です。そうすれば、ストレスが最小限となり、アドレナリンなどの分泌も少なく、自分が持つ免疫力が十二分に発揮もされるでしょう。

 仏教、浄土真宗は病気から救うのではなく、病人の根本的な救いを説きます。仏教の救いは世間的な救い(経済的、医学的など)とは質が異なります。事実をあるがままに受け取り、与えられた状況を「これが私の引き受けるべき現実、南無阿弥陀仏」と、阿弥陀如来に全てお任せし、今日を精いっぱい未練なく生き抜く(場合によれば、死ぬ)のです。

と新型コロナで不安になっている人に答えています。

 

どうか病気やけがは、お医者さまにお任せして、生老病死(しょうろうびょうし)の心の悩みは阿弥陀様にすべてをお任せして、安心のある人生を送りたいものです。

受法寺報 35号

  • 2020/04/10 15:29

法話 ▶こころのまど◀ はなれても つながる 南無阿弥陀仏

  • 2020/04/09 11:39

はなれても つながる 南無阿弥陀仏

ついに新コロナウイルス感染拡大を受け、緊急事態宣言が出せれました。

その中の一つが「3密」を避けてです。

とにかく、「はなれて」ということです。

でも、こういう時だからこそ、

「はなれとも つながろう」ということも言われ、SNSでも色々なひとが発信しています。hanaretemo.jpg

先週、TVでみた映像に、こんな風景がありました。
イタリアだったと思いますが、男の子の誕生祝いの日です。
親戚や近所が集まって祝う会が催されるところですが、アパートの向かいのご近所さんが、男の子に祝福の言葉をかけて、思わず顔を覆って思わず涙ぐむシーンです。

「離れていても 決して君を思う心は離れていないよ」

「南無阿弥陀仏」という念仏も、ただの六文字ではなく、

阿弥陀如来の

寂しいとき 辛いとき 悲しいとき 苦しいとき

「あなたのことを、いつも思っているよ」

という心が込められている言葉でした。

元旦会 一年の始めは、お寺から

  • 2019/12/31 16:41

元旦会

元旦会のお荘厳も終わり、明日は7時からの元旦会と案内しています。

7時でお勤めしますが、10時からも正信偈・法話・お屠蘇をしますのでお参りください。191231.jpg

納骨堂工事完了慶讃法要

  • 2019/11/07 11:36

受法寺納骨堂「浦戸浄苑」は、1年以上の雨水対策の修復工事を終了し新しく納骨壇を設置して、「納骨堂工事完了慶讃法要」を多くのご門徒様の参列のもと、厳修しました。

表 白

西方浄刹の阿弥陀如来 三界の教主・釈迦牟尼仏 並びに 
十方三世一切の諸仏三宝に申して曰さく
つらゝ 推れば
当受法寺納骨堂「浦戸浄苑」は昭和47年に竣工し爾来47年を経て 雨露はなはだ建物を損ない 納骨壇を傷め 老朽化す
ここに受法寺住職釋慶哉 昨年夏に修復工事を行うとともに、新しくアルミ製の納骨壇を設置すことを発意するや
門信徒一同よく懇念を運び 一年以上をかけて幾多の困難の中に在りながら 本日 納骨堂工事完了慶讃法要を厳修す
ここに
あらたにご先祖の納骨壇への移行を機縁として 個人を偲ぶよすがとして
この上は益々
聞法に励み 阿弥陀如来の本願を仰いで報謝の日々を送り
いのち 終わってのちには往生の素懐を遂げて 倶会一処の楽しみを享けることを
受法寺住職 釋慶哉
 敬って申す
 
令和元年十月二十六日 

受法寺住職釋慶哉191026noukotudou.jpg

受法寺報 34号

  • 2019/10/01 19:35

受法寺報 34号 を発刊しました。

 

juhoujihou34_compressed3.pdf

受法寺報 33号

  • 2019/05/01 13:49

納骨堂の更新についての説明会 3月9日(土)午後2時

  • 2019/03/01 16:28

納骨堂の更新についての説明会開催します。

これまでに、納骨堂を使用されていた方には案内していますが、高知で永代供養墓などをお探しの方、新たにお墓や納骨堂をお考えの方もご参加ください。

受法寺納骨堂「浦戸浄苑」は、昭和47年に竣工し47年を経て、建物や納骨壇が老朽化していますので、新たにアルミ納骨壇に入れ替えることにしました。

下記の通り、これまでに納骨壇をご使用の方には、案内しています。

1, 日時    3月 9日 (土)午後2時

2, 場所    受法寺本堂

3, 内容    

① 納骨堂工事計画について

② アルミ納骨壇の更新について

③ その他

・新規のアルミ納骨壇お申し込み(納骨壇をこれまで持ってなかった方)

 上壇        50万円 

 中壇        48万円 

 下壇        45万円 

 個別収納壇    20万1体のみ

 共同納骨    10万円 1体のみ

・ご使用中の木製納骨壇からアルミ納骨壇への更新冥加金は、別に定めています

190301noukotu3.jpg

法話 こころのまど 死ぬのじゃのうて 生きること

  • 2019/01/15 16:18

死ぬのじゃのうて 生きること
 なもあみだぶに 生きること

死ほど、人をを不安で恐怖に落とし入れることは無いでしょう。
しかもそのことを生まれたからには、生命は有限であるので、だれでもこの問題と向かい合わなければならないのです。

そのような不安や恐怖に才市さんは、「死ぬのでは無くて生きること」
と、うたっています。

また、才市さんは、

 わたしや、幸せ、死なずにまいる、
 生きさせて参る浄土が、なむあみだぶつ

臨終で、生命としての死を迎えることになりますが、でも「わたし才市」はしあわせにもお浄土に生まれることだと。

それも、そのことが受け止められるのは、命終える時の臨終ではないのです。

お念仏を続けて、やがて来る死期に臨んで念仏を続け、臨終にやっと仏様のお迎えを得て、はじめて浄土に生れることが成就するという考え方、いわゆる臨終業成であれば、それまでは不安や恐怖です。

しかし、

平生の今、ここに、阿弥陀様の「必ずわが浄土に迎える」というお心をいただく(信心)。

これで往生浄土といういのちきわまりなき世界に生まれることがが定まり、限りある命の根本問題が解決されるのです。

遠い先の臨終まで待つことではなく、「今すぐの救い」にあずかるのです。

阿弥陀様の「いのち尽きたなら、必ずわが浄土に迎え取る」という、仏様の心に順うと、私は死なない身になったのであるから、南無阿弥陀仏にいだきとられて死ぬまで悪をつくりながらも、そのまま「生きさせて」いただき臨終でお浄土に参らせていただくのです。
 
たしかに、この世における我が身は、煩悩におおわれているあさましい身であって、仏様が迎えにくるという来迎にあずかり、お浄土に往きうまれることは、思い及ばないことでしょう。

しかし、阿弥陀如来の「必ず救う、われにまかせよ」というお呼び声は、私をとらえてお離しになられません。

この信心をいただく身は、平生の生活のうちに往生が定まっているのです。
これが平生業成であり、臨終の来迎を待つことのない、即ち今なのです。

この娑婆がそのままで浄土参りまちがいなしと、南無阿弥陀仏の上に体得して喜び、まさに平生のままに葬式すんで、南無阿弥陀仏とともにあることであります。
 
わが親鸞聖人は和讃に、
 
 超世の悲願ききしより

 われらは生死の凡夫かは
 
 有漏の穢身はかはらねど

 こころは浄土にあそぶなり

と讃ぜられ、また

 真実信心の行人は摂取不捨の故に正定聚の位に住す。
この故に臨終まつことなし、来迎たのむことなし。
信心の定まるとき往生また定まるなり。

と、仰せられています。sinunojanoute.jpg

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