法話 こころのまど 信心は 阿弥陀様から いただく
- 2018/10/19 14:02
信心は 阿弥陀様から いただく
2018年10月18日
10:55
「私が、信心する」
確かに信ずる心が起こるのは、自分の中で起こったことです。
ここでは「自分がする信心」「私がする信心」は、私が起こした信心です。
私を根拠として自分中心であるかぎり他人ことを考えているのではなく、自分にとって都合の悪いものははねつけて、拒絶してしまいます。
また、自分というのは、常に変わっていて、移ろいやすい。
昨日は好きであったものも、今日は嫌いとなっています。
親鸞聖人は、阿弥陀様の願いを聞いてうまれる信心を、
「信心と言うは、すなわち本願力回向の信心なり」
と阿弥陀様のはたらきによって、与えられるとおっしゃっています。
「自分がする信心」ではなく「阿弥陀様からいただく信心」であると。
阿弥陀様は、阿弥陀如来。
「如」という真実の世界からから「来」たという意味です。
真実が根拠となっているのです。
そして
信心はすなわち一心なり
一心すなわち金剛心
金剛心は菩提心
この心はすなわち他力なり
「高僧和讃」「天親讃」
と天親菩薩の一心から、親鸞聖人はこの信心は「金剛心」は、ダイアモンドのように決して壊れることのない真実の信心であると頂きました。
私という不確かで移ろいものを根拠とするのではなく、どこまでも阿弥陀様から頂く信心でした。