法話 こころのまど 先に生まれん者は 後を導き
- 2018/09/20 09:46
七高僧の一人、道綽禅師の『安楽集』から。
この娑婆世界においても、人生の先輩は後輩を導くものですし、後輩は先輩の跡を訪ね、その足跡に学んでいかねばなりません。
新しい職場に入ったときには、職場の先輩に仕事を進めて行くにはどうしたらよいか、まず先輩に尋ねます。
昔は徒弟制で、細かい仕事の内容を先輩は教えてはくれません。
そこで新しく道を尋ねる者は、先輩や師匠のの後をおって、文字通り「尋ねる」のではなく、「訪ねる」、ひたすらに仕事に対する技術や方法だけでなく、姿勢も含めて後を追っていくことになります。
ここで『安楽集』に述べられる「前に生まれんもの」は、この世に先に生まれた者の娑婆世界に生まれるというだけではなく、お浄土に先に生まれる者のことです。
先に浄土に往生する者は、後の者を導いておられるのです。
そのことを後に残った私たちは、お浄土から私たちは、先の方を弔い、訪問するのでしょう。
そこでお葬式があってお盆があって、年忌法要などを勤めているのです。
後から浄土に往生しようとする者は、先立った方がたの、み跡を慕い、そのことによって、浄土往生を願う願生心が、縁ある人びとの導きによりながら、脈々と受け継がれていくのです。まさしく、法は人を通して伝わっていくということでしょう。
愛しい人やかけがえのない人をなくした時、人はみな、悲しみの淵に沈みます。
そして、その悲しみは簡単に癒えることはないのですが、何故かお仏壇に足繁く向かうようになれたのは、先立った愛しい人の導きによるものです。
「あなたのおかげで仏さまに手を合わす身になれました」
私たちはここで手を合わし、南無阿弥陀仏とお念仏させていただいています。